古事記上巻には、宇宙がどのように形成されたのかが説かれています。
古事記宇宙の生成「原文」
まず、古事記の原文は下記のように記されています。
天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。
下效此、次高御產巢日神、次神產巢日神。
此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。
次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時流字以上十字以音、
如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音、次天之常立神。
訓常云登許、訓立云多知。
此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。
漢字を用いて、大和言葉で書かれています。
これでは意味がわかりにくいかと思いますので、読み下し文を見ていきます。
古事記宇宙の生成「読み下し文」
次に、上記の文章を読み下した文章がこちらです。
天地初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、
次に高御産巣日神、次に神産巣日神。
此の三柱の神は、並びに独神と成り坐して、身を隠したまひき。
次に國稚く浮きし脂の如くして、海月なす漂へる時、
葦牙の如く萌え騰る物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神、次に天之常立神。
この二柱の神もまた、獨神と成りまして、身を隠したまひき。
上の件の五柱の神は、別天つ神。
神様のお名前が羅列してある上記の文章では、
何の神様が、どんなことが書かれているのか、わからないですよね…。
この文章も、大和言葉で一音一音をひも解いていくことで意味が、
内容を捉えることができます。それでは見ていきましょう。
大和言葉でひも解く「天地」
天地初めて発けし時、
~人間が仰ぎ、生活する上での「天地」が初めて広がった時~
大和言葉で、「あ」は開ける、明らかというように開く意味があり、
「め」は愛でる、芽がでるというように調和という意味があります。
つまり、「あめ」とは、柔らかく広がったもので、天空のことです。
そして、「つち」の「つ」は着く、積もる、連なるというように連続性を表し、
「ち」は血筋やちよにやちよにというように継続を表します。
つまり、「つち」とは積もり連なってどっしり続いていくもの、
踏みしめることができる大地のことです。
このように、古代人は、自分たちの立っている大地、広がっている空を見て、
一体、この天地はどのようになっているのだろうか。
どのように始まったのか、考えを巡らせたということです。
ここには、日本人の「ありのままに」物事を捉え、考えるといった
「かんながら」という日本思想を読み取ることができます。
踏みしめる大地がなかったら、立てないな。
広がる空、天空がなかったら動いて生きることはできないな、と考え、
天地を認識したうえで、まぎれもなく自分がここにいることを捉える。
このように、ものごとをありのままに捉え、そこから考えを巡らせています。
このように、かんながらで、物事を捉えていくことは、非常に重要で、
原点に振り返り、そこから考えていくことで物事は発展していきます。
大和言葉でひも解く「天之御中主神」
高天原に成れる神の名は、天之御中主神
~宇宙の中の高貴な広場に、最初に現れたのが天之御中主神~
「たか」は高尚や高貴という意味、「あま」は宇宙、「はら」は広場です。
つまり、高天原とは、宇宙の高貴な広場。
大宇宙がいよいよ広がり始める時、
古代人は、まず尊い場所があったと考えました。
そして、その尊い場所には宇宙の中心の神様が登場すると考え、
その神様が「天之御中主神」です。
「あま」は宇宙、「みなか」は根源的な中心、「ぬし」は司るで、
宇宙の根源を司る神ということです。
このまず最初に、根源的な中心を表す天之御中主神が現れるとことに、
「中心論」とう日本思想を読み取ることができます。
中心論とは、中心が大事であると強調した思想です。
活動しているすべての存在には中心が必要で、
何かやろうとしたとき、誰かが中心に立たないと物事は進みません。
オーケストラには指揮者が必要で、自治体なら市長や町長、会社なら社長が必要です。
みんなが代表というのは、誰も代表ではないということになります。
この中心の役割は、全体の決断を下すことです。
指揮者が、タクトを振っても綺麗な音は出せませんが、
どういうテンポで、どの小節に移るのか、
音楽を進めていくための「決断の連続」を担っているのが指揮者です。
経営者も同じく、資金や人材確保など、日々判断と決断を行っています。
つまり、中心が重要で、
宇宙が始める時も、最初に中心があったのだと古代人は考えました。
大宇宙が大宇宙がバラバラにならない、
ばらばらにさせないだけの中心力というものがあったはずだと。
大和言葉でひも解く「ムスヒの神々」
そして、中心を司る神様の次に現れるのが、生成力の神様です。
次に高御蒸巣日神。次に神蒸巣日神。
~次に、高御蒸巣日神、神蒸巣日神という生成力の神様が現れました~
共通しているのが「かみむすひ」ですが、この「かみ」はもともと「かむ」で、
言いやすさの観点から「かみ」に変化しました。
つまり、噛む様子を表した神様で、口の中で食べ物を噛むようにものを造る神様です。
また、「むすひ」はものが生まれていく力、生成力を表します。
そして、「た」がついているほうが陽で、付いていないほうが陰を表し、
陽と陰の力によって生成が行われる。
人間が男性性と女性性の落差によって、命を生み出すように、
プラスとマイナスの力が両方合わさることによって、生成力は起こります。
ここには、「陰陽造化論」という日本思想を読み取りうことができます。
エネルギッシュで活発な陽だけでもだめ、
落ち着いて冷静な陰だけでもだめで、両方合わさることが必要。
人の生活においても、頑張るばかりではだめで、休息を取りながら、
陰陽のバランスを取ることが欠かせないということです。
この三柱の神は、みな独り神と成りまして、身を隠したまひき。
~この三柱は「単独の神」であり、目に見えない働きや作用を表している~
どこに隠れたわけではなく、目に見えない働きなので、
身を隠していると表現しているということです。